空中楼閣*R25

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日記など

 五年前の八月の終わりに、こんな事を書いていた。

「砂時計、風見鶏」
 
いつの間にか風の湿度が変わった
人の営みなどお構いなしに
過ぎていく時間
 
目に見えないからこそ油断できない
 
その気配を感じ取るには
心の余裕が必要
 
鳥の声が変わる
稲の緑色が変化する
 
川に映る風景も、心地よい場所も
いつかは流されていく



夜の音
 
雨音が騒音を遮蔽する
宵闇が深さをましていく
 
絶え間ない繰り返しは
人の感覚を麻痺させ
感度をゼロにしてしまう
 
日常に倦まないこと
 
頬に冷たく触れた
夏の椿が気付かせてくれる



「サティを聴きながら」
 
頬で溶ける雪
雨に散る桜
 
運命という言葉に
諦めという文字を交差させるか
甘い煌めきを描くかは
 
その人の生きてきた道程
 
思うは、孤高の月
悠久の海 



「前を向く」
 
少し見ぬ間に満ちていた
 
川岸の白い石が見えなくなって
緑の葉先が川面に濡れていた
 
二羽の白鷺も見あたらない
 
少し気分を内側に
向けている間にも流されていく
 
始まりと同時に終焉は
用意されている
 
だからこそ
 
瞬間の中に永遠を秘め
繰り返しの中に永久を紡ぐ   

 五年前も、立秋を過ぎれば風の色が変わったみたいだ。けれど今年は、鳥の声にも、稲の色にも気付かなかった。流れて行くことにすら。

 そういえば、夏椿のシャラはまだ咲いていない。いや、一夜花を見落としたのだろうか。

 使い続けるにつれて、立ち上がりが鈍くなるハードディスクのように、生きていると、知らぬ間にしがらみを背負い、立ち上がるたびに、それらを読み込むようになる。

 鈍い。感性のアンテナが鈍くなる。

 蝉は気温25度で鳴き始める。今朝、蝉の声がしないことに気が付くまでの鈍さときたら、蝉が鳴いてから「はっ」とするほどなのだから。

 貴女のキスを捕まえられるように少しはブラッシュ・アップをかけないと、永遠を閉じ込めるどころか、見失ってしまいそうだから。