空中楼閣*R25

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卵の連鎖

 卵焼きは関東は甘く、関西は塩味、あるいは味醂と出汁を入れた出汁巻き卵らしい。

 私は微かな塩味と薄く出汁の利いた卵焼きが好きかもしれない。「かも」しれない、というのは、そういう卵焼きにまだ巡り会っていないからだ。

 母が私に作る卵焼きは、関東出身でもないのに、関東風だった。貧しい時代に砂糖を使う優越感からか、母は甘い味付けが好きだった。

 私が命日も忘れてしまった父は・・忘れたというよりも、私にとって父の命日に意味は無かった。重要なのは「今はもう居ない」ということのほうなのだ。だから忘れたというよりも、最初から憶える気が無かった。死んでしまったという事実以外には・・その父が私に作ってくれたのは、生卵に醤油を落とした卵焼きだった。

 それは祖母、父の母が父に作って、父が私に教えた卵焼きだった。

 戦後の裕福でない時代に、貧乏長屋住まいとはいえ、顔も素性も知らぬ祖父のおかげだったのか、米だけには困らなかったようだった。

 地方の某マスコミのトップが父の父、私の祖父だったらしいが、あの暮らしぶりからは、どうみても、余り心を傾けてはくれなかった妾腹の子だったのだろう。それでも、兄弟は男ばかり三人も居た。

 その祖父は私は産まれる前に亡くなっていたので・・訃報を載せた古い新聞を何処かで見た記憶があるが・・だから、私には貧しい長屋の記憶しかないのかもしれない。

 父が言うには、弁当箱を開けるとぎっしりの白飯だった。梅干しもなく、沢庵もなく、ああ、お袋はオカズを忘れたな、と飯だけを食べすすめたら、弁当の底に醤油入りの卵焼きが敷いてあった。

 そんな意味不明な逸話とともに、父は、油揚げをコンロで焼いたような、茶色の薄い卵焼きを作ったくれた。

 見栄えは良くなくても私はその甘くない卵焼きが好きだった。母は、そんな祖母が嫌いだった。

 いまだに、母の卵焼きは甘い。私は何も言わずに、それを口に運ぶ。

 父と卵といえば、バタイユの眼球譚を思い起こす。最近まで、どうしても判らないエクスタシーがそこには綴られていた。卵がバタイユの父の象徴だったと知ったのは、つい先日だったのだ。

 死体の隣りで、登場人物の男の自慰を女が手助けをし、最後には感極まって、初めて二人が交わりをする、というのは、判らなくもなかった。

 性は生の剥き出しの欲望であり、生と死は、互いの存在なくして、存在しえない。だから、ゆるぎない死(死体)の前で生から性へと欲情するのも判らなくはない。

 だが、水洗トイレに生卵を落とし、排泄物をそれに注ぎながら、トイレに流し、興奮してエクスタシーに達するというのが、私には全くピンと来なかった。

 生卵は、盲目で半身不随の父のシンボルであり、また、その父から産まれた自分自身の投影でもあった。その生卵を汚すことでエクスタシーを得ていた、ということらしい。

 タブーを犯すのは、何かしら性的興奮を伴うものだ。人の妻の子宮に射精をするように。

 理性なき男というのは、始末におえない。白雪姫を追い出したのは、美しくなる娘を父王の性欲から守るため、という逸話もある。

 生命の剥き出しの欲望の一つは、理性すらも剥ぎ取ってしまうのかもしれない。

 あの日、白いバスタブに全裸で横たわった貴女に、次々と生卵を割って、落としたのだった。

 貴女はヌルヌルとした透明な白身を肌に塗り付け、自らの乳首を硬くした。髪を汚し、腰をくねらせ、彷徨うような視線で私を見つめ続けた。

 幾つもの卵黄は、滑った肌から流れ落ちて、貴女の身体の下で潰れては黄色の汁でバスタブを汚した。

 2ケースもの卵に塗れた貴女は、潰れていない黄身を自分の腰の中心に集めると、指で押し込むように花びらに飲み込ませた。

 丸呑みさせようとしても、大きな卵子は粘膜の入り口で潰れてアヌスを黄色く染めるばかりだった。

「ねえ・・卵のまま呑み込みたいの」

 むせ返るような生臭さの中で、私も貴女もおかしくなっていた。そこに理性などなかった。

 私は最後の卵を口に含むと、貴女の待つバスタブへと踏み入った。ヌルリと貴女の腰の下へ両膝を滑り込ませると、異様な匂いに塗れた花びらを、唇で頬張った。

 口の中の卵黄を、花びらの奥へ勢い良く送り出すと、貴女が狂ったような甲高い悲鳴を上げてから、全身を震わせながら、こう言った。

「あああ・・私の卵に・・射精して」