倦むという事
蒼穹なれど、風が吹き荒れる朝。陽射しばかりが強く、春の和らぎはない。
このところ、すっかり飽きてしまった。飽きないはずの職業を選んだはずなのに、である。
自分が飽き症で、一度、そうなると厄介だということは、物心ついた頃から判っていたみたいだ。だから、一人遊びが得意になった。白昼夢に耽れば、現実に飽きることもなかった。
結果として、大人からは物静かでおとなしい良い子だと思われていた。
少し勉強が好きだっただけで、教師から毎年指名されてしまうような片田舎の万年学級委員長は、小学校の二大ガキ大将の派閥にも入らないまま、敵対する大将二人と何故か親しくなってクラスをコントロールするという、綱渡りゲームで日々を紛らわせていた。
自分が進学のために転校しなくては・・当時、私の進路は親の手中にあった・・という時期になって、自分を飽きさせないための次の目標を見つけなくてはいけなくなった。
そこで考えた。飽きない未来のために、飽きない職業を選ばなくては、と。結局、二つに絞った職業から、現実的な方を選んだ。夢でなく、現を選ぶという可愛げの無い小学生だった。
お陰で30年余りは飽きることもなかった。だが、この10年は怪しくなった。自分から環境を変えたり、偶然の変化もあって、なんとか自分の飽き症をあやしながらやって来た。
が・・もう、どうもいけない。
道に迷う厄年は、とうに過ぎた。不惑という警告も通り過ぎた・・案の定、ひと騒ぎを起こしたのだが。
さて、次はどうする。こっそりする一人遊びはもう止めてもいい頃ではないか。人目を憚らない遊びを始めてもいいではないか。
次は、大人らしく、じっくりと道を選ぼうと思う。