きみの名は
最初は連続ラジオドラマだったという。大ヒットで三部作六時間もの映画となり、やがてテレビのドラマとして、放送系列を変えて四度もリバイバルされた。
無論、実際には聴いた事も見た事もない。
ラジオは1952年からの放送で、映画がその翌年から始まっている。一回目のテレビ化は、私が3歳のときだ。その4年後、更にそれから10年後と、最後が1991年に連続ドラマとして放映された。
互いの名前を告げずに、半年ごとの約束をする。この場所で会いましょう、と。「生きていたなら」と前書きが付く。
何故、「生きていたなら」なのかといえば、最初の出会いが空襲の中、ようやく死をくぐり抜けた二人だったからだ。
何故、名を告げなかったのか。それは、未練を残すためだろう。
名前を知らなければ、その人の名を呟くこともできない。せめて名前をと想いが募るから、生きて必ず合うために。互いが生き抜くために未練を残したという事だろう。
「人の顔も名前も覚えないんだがら、あなたには無理よね」
貴女は、少し得意げに唇の端を上げて、意地悪そうな視線で私を見下ろした。
「顔ぐらいは覚えるさ。逢いたいと思うような女性の顔は」
「名前は?」
「時々、忘れる」
「酷い。私の名前は?」
「苗字が出て来ないときがあるなあ」
「苗字はいいわよ。もともと私のじゃないから」
返事に困って、私は苦笑いをした。
「名前も知らない人と、また逢おうと思うのかな」
腰を揺らしながら貴女が言う。
「逢うための口実だよ。名前を知らないということが」
「それだけ、最初に惹かれ合ったってことよね」
「そりゃそうだ。でなくちゃ、名前なんかむしろ要らないんだから」
言い終わる前に、私は腰を小さく跳ね上げた。貴女が私を締め付けて、背を反らす。
「ああ・・。ねえ・・」
「何?」
「ラスト・タンゴ・イン・パリって知ってる?」
「偶然に出会った男女が、名も知らぬまま、いきなりセックスするってやつだよね」
「君の名はって、そうはならないのね」
「そうは、って?」
「名も知らぬまま、交わるの」
「交わるよりも、生きてることのほうが難しい時代だったからねえ」
「あ・・」
「ごめん。こんな時に真面目なことを言わせるからだよ」
貴女の中で私が力を失いかけていた。
「じゃあ、おしゃべりは終わり。ちゃんと感じて」
私に跨がったまま貴女が腰で妖しい円を描いた。
心地よさそうに目を細める貴女を見上げながら、ふと思った。
貴女と私に名前は必要なのだろうか。「君の名は」と追いすがることも、「私はあなたを知らない」と断ち切るとこも、肌を交わらせるときには無用な事だろう。
けれど、触れられぬとき、名前が欲しくなるのかもしれない。あるいは、無きものとすることが迫られるのかもしれない。
ベッドの中の二人には、名前が意味を持たない。部屋を出た二人にとって名前が意味を持つ。
胸に甘い痛みが走った。
「こら・・もっと硬くして」
貴女の爪が私の乳首に食い込んでいた。