ルーム・イレブン
風がすっかり秋の色だ。冷えるくらいの涼やかな風だから、湿った文章を書くのが憚られてしまう。
むしろ、こんな日には「ルーム・イレブン」でも聴きながら、テンションを上げて仕事に向かいたいくらだ。
でもまあ、すでに頭の中には続編は出来ていて、後は描かれたスナップ写真をコラージュよろしく、並べて体裁よく貼付ければ良いのだ。
というわけで、続編です。もっとも、この二人の物語は続けられそうな気もしますが。まあ、気ままにということで。
仮題「続・青い惑星の夜」
貴女の身体がずり落ちて、乱れた髪が頬にかかった。喘ぎながら喉元を見せるように仰け反った。
余計に私の指が深くなる。
「何が言いたかったの?」
私はそう言ってから、顔を戻した。フロントガラスのほぼ真正面には、地平線に落ちようとする月とそれを追うように木星があった。
「もう・・言葉がまとまらないじゃない」
「でも、濡れてる」
「そうさせてるので・・しょ。・・ああ、だめ」
私は埋もれた中指に薬指を添わせて伸ばし、二本目の指を花びらに沈めた。貴女が腰を浮かせて、もう少しだけ膝を開いた。スカートの中で、蜜が跳ねる音がした。
視野の端で胸の起伏が上下する。その不規則な動きが、妙に切なくて艶っぽかった。
「指、溶けちゃいそうだ」
「あん・・だって、ずっと入れてるんだもの」
「あの距離、いい感じだね」
「うぅ・・」
私は貴女の熱と弾力を感じながら、指をゆっくりと深くしてから折り曲げた。
「はぅ・・ああ」
あの距離をどうして心地よいと感じるのだろうか。多分、月が沈もうとしているからだろう。そして星が追いすがるからだろう。
「都合が良すぎるな」
考えが呟きになった。貴女の喘ぎが静止する。
「そうよね。私、身勝手よね」
見当外れで意外な言葉に驚いて、貴女を見つめた。貴女はじっと前を見ていた。眼差しに月が映っていそうだった。
「違うよ。私のことだよ」
抜き去ろうとした指を、貴女の手が押しとどめた。
「抜かないで・・」
「ん?ああ、抜かないよ」
指を貴女に預け、背中をシートに預けて、視線をまた月に戻した。
「あの距離で追われるのは気持ちがいいんだよ。酷く身勝手な感情だけど」
「うん、そうね。でも、落ちて行く月を、届きそうで届かない距離で追いかけるのも、気持ちがいいのだと思う。でも・・」
でも触れたい、手に入れたいはずだと思う。
「でも、私。本当は欲しいのよ。手に入れたいけど、失うことを思うと怖い。あの距離があれば、失った時の傷も致命傷にならない気がして」
私はね、と言おうとして口をつぐんだ。その代わりに貴女の手の下で、指をまた折り曲げた。甘い吐息が響く。
「月には追いつかないよ。今夜は離れていく一方で」
「えっ・・」
多分、貴女は哀しい顔をしている。じっと木星を見つめたまま、そう思った。私は追われることを楽しんでいる。追われる事で有頂天になる。
鬼ごっこは、追うのも追われるのも下手くそだったから、だからかもしれない。追いかけたものは必ず手に入れて、追われるものには触れる事なく追わせ続ける。そんな事の気持ち良さに憧れている。
自分への言い訳を誤摩化すように、指を動かした。掌を貴女に押し付けて、沈めた指ごと上下に揺すった。
「うっ・・ダメダメ。シート、汚しちゃう」
蜜音が、水音に変わっていく。手の中で熱が溢れ出す。貴女が足を強く伸ばすのが、視界に入った。急に手を止める。
手の甲に貴女の爪が食い込んでいた。手のひらの中で貴女が短く震えた。乱れた呼吸が夜に響いた。
「明日、同じ時間に見てごらん」
「・・え。なに」
「明日、この時間に、また月を見てごらんよ」
「どうして?」
「明日は、木星が月を出迎えているから。少しずつ引き寄せるようにして」
その次の夜には、今度は月が木星を追いかけるだろう。時が過ぎれば、追っている方が追われる方になる。
濡れた私の指を握りながら、貴女が身体を起こして私の顔を覗き込んだ。それから、そっとキスとして、潤んだ眼差しで微かに微笑んだ。
「一緒になったまま、地平線の向こうに落ちていくときもあるのね」
ぽつりと貴女がそう言った。(終)