空中楼閣*R25

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脳梁の厚み

「そろそろ本腰入れようかな」
「ええ、今までは浮気だったの?」
「違うよ。右脳だけでなくて、左も使おうかと」
「女は最初から、全部、使ってるわよ」

 左右の脳を繋ぐ部分、脳梁の太さは男女で完全に違う。脳は神経の塊で、脳梁はその神経からの電気を伝える電線そのものなのだ。

 だから脳梁の太さは、そのまま電線の数になる。女性のほうが圧倒的に左右を繋ぐ電線が多い。電線はオンオフができない。だから、無意識に左右は連動してしまう。

 左右の連絡が少ない男性ほど、意図しなければ、片方の脳だけを使いがちになる、丁度、左右の目のどちらかだけで、世界を見つめているのと同じ感じだ。意識しないと、両目を使えない。

 一点をみつめたまま、左右の目を交互の閉じれば、どちらの目で見つめていたかは歴然だ。ずれが大きいほうの目は使われていない。

 私はどうも視力の良くない左目を使ってるらしい。なんとも不器用な男だ。

「男女って、脳から違うのよね。でも、求めるものは同じよ」
「同じって、相思相愛ってこと?」
「そう、愛し愛されたいのよ」

 ・・愛し愛されたい・・か。

 愛を願うこの生命体は、呆気ないほど儚く、醜いほどしぶとい。私は呆気ない世界に身を置いていた。千人以上が私の掌の下で、鼓動を停めた。

 そして、命がとてもしぶといことも知っている。信じられないほどの復元力で、最後の微かな糸で繋がって行く命もある。

 なのに、だ。この言葉はには、儚さも、しぶとさもない。無常もなければ、執着もない。愛し愛されたい・・か。

 憎み、憎まれたい。悲しいけれど、そっちの言葉のほうが生き生きとして、儚く愚かにも、永遠に近い気がする。

 私は恋愛失格者なのか、それとも多くを失い過ぎたのか。あるいは、失うまいと背負い過ぎているのか。

 なんだか、私の左右の脳は完全に孤立しているのではないか、と思えて来た。