空中楼閣*R25

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休日のオフィス

 台風が汚れを洗い流したような青く澄んだ光が、天空に広がった日。早目にオフィスまで来た。所用までは、まだ2時間ほどある。

 がらんとした空間の駐車スペースを眺めながら、なんだか懐かしい気分になった。

 そういえば、昔から休日の職場が好きだった。どうも家庭生活には向いてないらしい。

 誰もいない休日の病院は、病棟を離れてしまえば、人気ないオフィズビルのようなもの、丁度、日曜の丸の内界隈みたいなものだ。

 いつもは息つく間もなく動き回り、緊張したり、安堵したり、イライラしたりする時空間を、一歩ぐらいの距離を置いて眺める事が出来る時間が好きなのだ。

 昨日、このグリーンのリノリウムの廊下を、呼吸も覚束ない患者を研修医を叱り飛ばしながら運んだ、だとか。このレントゲン室の受付前で、検査の順番でやりあったとか。まるで想い出を懐かしむように、緩やかな気持ちで眺める事が出来た。

 そんな現場を離れて、もう二十年近いけれど、今日、休みの日にオフィスの駐車場のチェーンを外しながら、ふと、その懐かしい感覚を思い出した。

 強風で乱されたエントランスに置かれたプランターの花を、少しだけ手入れしながら、いつもの場所を少しだけ距離を置いて眺める事が出来た。

 同じ場所なのに、時間が変わるだけで、違う場所になる。

 男だからだろうか、それとも、私だからだろうか。私は自分に流れる時間を、比較的大きなサイズのパケットで、タイムシェアリングしているみたいだ。

 だから、同じ場所に立っていても、立つ時間を変えるだけで、自分のその空間における立場を変えることが出来る。

 当事者として仕事をする空間を、他人として眺められる。そして、そうやって眺めることが好きなのだ。何故って、知らず知らずに追いつめられた心をリセット出来る気がするから。

 ああ、そうか。私は「傍観者」であり「観察者」だったんだ。小さい頃も、そして今も。

 主体となり、当事者となるのは、少なからずストレスとなるのだ。だから、時々、こんなふうな傍観が心地よいのだ。

「ねえ、あなたって交わっている時も、私よりも遠くを見ている気がするの。微笑みながら」

 そうかもしれない。私が心を開いているときは、遠くを見ているかもしれない。傍観者として、眺めている時が、一番、自分の心を解いている時間だから。

 そんな時、私の心は無防備に剥き身を晒している。