空中楼閣*R25

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生まれながらに

 10年以上も棲んでいた金魚の一匹が、水底に痩せた身体を横たえて、動かなくなっていた。

 生命とは「動的な平衡」だと誰かが言っていたが、それは私に言わせれば、水を満たした器みたいなものだと思う。器は常に世間とか、自分の心情とかで揺らされていて、上手くバランスを取らないと傾いて溢れてしまう。

 水という慣性を持った液体は、傾きのある傾斜を超えると、器ごと一気にひっくり返るのだ。

 金魚と人間と木々では時間の過ぎる速度が違う。物言わぬ金魚でも、彼(彼女)の死期が近いことは私にも判っていた。ただ、私が思うよりも早く金魚の時間は流れて、もう戻せないほどに傾斜してしまっていた、ということだろう。

 あるいは、あちこちへと傾くたびに溢れてしまった器の水が、大きく傾いた時に、最後の一滴を零してしまったのかもしれない。

 植木などは、ずっと長い時間を過ごすから、植え替えた時に、すでに枯れ始める場合もある。新芽が出れば大丈夫、とか、庭師は言うけれど、木々はもっと長い時間をゆっくりと生きてる気がする。

 だから「この高さになると急に枯れちゃうんだよなあ」と庭師は言うが、植えかけた時に、もうゆっくりと死に始めていたんじゃないかな、と素人の私は考える。

 幸いか、どうかは別として、金魚の時間は短い。だから、彼を露店ですくってきて、この水槽に入れたときから、彼の死が始まったとは思えないのが、せめてもの救いかもしれない。

 で、なければ、私は金魚にとってただの死神になってしまうから。

 そう思う一方で、庭を眺めては庭木の植え替えを考えたりもする。やはり、人というのは、身勝手で残酷なのだろう。他の生き物の、動的な平衡を我が手で遊ぼうとするのだから。

 貴女の吐息が遠くで聞こえたような気がする。濡れているはずのない自分の指先を眺めた。

 ・・ねえ、ほら、水の音がするよ。花びらから、貴女の水が溢れそうだ。もっと揺らしてもいいかな。