空中楼閣*R25

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見えないもの

 目まぐるしく変わる天気に、予報が当たっているのか、外れているのかすら判らなくなっている。

 人は理解不能なものを怖れる。予測できない、想像できない、という感覚に過剰に反応する。過剰に楽しいことを連想するか、過剰に不安の連鎖に陥るか、する。

 それでも、まだ方向性があるほうがましだろう。本当の得体の知れなさは、その方向すらも判らないという事だろう。

 その場で踞っていて良いのか、とにかく動かなくてはいけないのか、それすらも判らない時、人はパニックに落ちて遭難する。

 なんとか得体を明かそうと、言葉という適当な符合を与えようとする。

 得体が曖昧で多様なほど、その言葉はむしろパワーを持ってしまう。何故なら、他に適した言葉が見つからないのだから、言い換えが出来ないのだから。

 恋愛は、そんな言葉がフワフラとウヨウヨと絡み合って蠢いているようなものだろう。

 甘い方向を夢想する場合も、悲劇ばかりを憂う場合も、そして、どうして良いのかと戸惑うばかりの時もある。

 そもそも、湧き上がって来る得体も知れない感情を何と名付ければ良いのかと、戸惑ってしまう。自分の心を言葉に換えてしまうのも憚れ、かといって、相手に伝えるには言葉を宛てがわなくてはいけないのだ。

 だからアダムとイブの時代から、恋愛を現す言葉は、それは曖昧に、そして力強さを持って受け継がれて来た。

 でも未だに誰も、その正体を証せない。誰も完全な言葉を与えられない。嫉妬という感情とともに、恋愛は得体の知れないままに生き続ける。

 多分、名前など要らないのだろう。

 名付けるから曖昧になる。伝えるから力を持つ。それは良い方向にも、悪い方向にも。