某日、午前11時
冷凍庫に寝かせてあったガラス瓶を取り出す。たちまち、手の中で透明な瓶が凍っていく。
アンティークな鉛色の小さなグラスに、過冷却のズブロッカを注いだ。
夏の正午前、きついスピリッツを飲みたくなった。注がれた酒は、氷点下でも凍ることなく蜜のようにトロリと重い。グラスの底で渦を巻いて、ようやく自分が凍らなくてはと気付いたみたいに、キラキラと氷片に変わる。
部屋の湿度がグラスに白く凍りついて姿を現すのを眺めながら、口へと運んだ。バイソン・グラスの香りが懐かしい夏を思い出させる。青い畳のような牧草の匂い。
叔父は三度、死んだ。
母は、弟の三度目の葬儀の連絡を取ろうと勤め先へと電話をしたらしい。
「所長は出先ですので、折り返し・・」
叔父は母の一族から絶縁されていた。母の兄弟は、母の姉、母自身、母の弟、そして末っ子の叔父、の四人だった。
私が夏休みで母の実家を訪れると、二人の叔父は時間さえあれば私と遊んでくれた。
取っ組み合いの真似事が常だった。兄のほうの叔父は、手加減としてくれたが、末っ子の叔父は時に本気だった。毎度、しっかり泣かされてた。でも、当時の私は、そんな叔父が一番、好きだったみたいだ。
叔父は北海道の大学で酪農を学んでいた。
叔父の奥さんと叔父は、互いに高校の同級生だった。
大学の夏休みの終わりに実家の駅で偶然出会った二人は、その日、そのまま北海道へと一緒に旅立った。
両親に引き戻された叔母は、翌年、短大を卒業すると泣く泣く幼稚園の保母を始めていた。
その次の年、卒業を控えた叔父と、叔母はまた同じ駅で出会い、そのまま二人は旅立ってしまった
両家の親族に説得されて郷里へと戻って来た叔母は、私の家の預けられた。そういえば、私の家で叔母は夜ごと泣いていた。きっと叔父に逢いたかったのだろう。
叔父の卒業を待って二人は式を挙げ、片田舎で叔父の夢だった酪農を始めた。私が夫妻の家を訪れたのは、結婚二年目の夏休みだった。初めて知った牧草と牛の匂いが、私は好きになった。
その叔父が自動車でブレーキ痕もないまま、道路脇のロードローラーに突っ込んだのは真夜中だった。飲酒運転だったらしい。
皆、叔父は助からないと思った。が、見舞いに行った私には、笑顔で手を上げた。
流石にもう酪農は出来なくなった。牛舎を売り払い、叔父は仕事を失った。
叔父の兄は、大学の時、国費留学のチャンスを実家のために捨てた。母の父の具合が悪かった時期だったからだ。
その兄は、職を失った弟の為に人を頼って、地元の公務員の仕事を用意した。が、そんな頃から叔父は酒を飲んでは暴れるようになった。
叔母にも暴力を振るい。結局、二人の子供を叔母に残して離婚した。叔父には年上の愛人が出来ていた。
それを切っ掛けに、叔父は母の一族から勘当を受ける。
実家のために自分の夢を諦め、父親に代わって奔放な弟の面倒と始末をしてきた兄は、彼を許せなかったのだろう。
その後、叔父が亡くなったという知らせは、噂のようのして我が家に届いた。職も無く、愛人とも別れて独り亡くなったと。
数年が過ぎ、叔父が運転しているタクシーに乗ったという知り合いが現れた。叔父は生きていた、らしい。
叔父の二人の子供達は、それぞれ公務員になった。叔父が一番、嫌っていた仕事だった。昨年、叔父の娘は結婚し、子供も生まれた。
今年になって、三度目の叔父の死の知らせが届いた。丁度、郷里に戻って、姉と過ごしていた母は、葬儀の件を尋ねようと叔父が働いていたという職場に電話をしたのだった。
叔父は、所長になっていた。しっかりとスーツを着て、二人の姉の前に現れたという。
「今まで、迷惑かけました」と頭を下げたらしい。奔放だった叔父も、もう60過ぎだ。三度目の結婚もしているらしい。相変わらずモテる。
兄のほうには、消息は知らせないままになっている。叔父を許しはしないだろうと、二人の姉は思っているのだ。実は、三度目の知らせは、その兄の奥さんからもたらされたものだった。
夢を諦めた男と、夢を求め続けた男。どちらも、今は、同じような生活をしていた。
グラスがすっかり汗をかいて、ズブロッカは水のようにサラリとしてしまった。
そういえば、自分たちのサンクチュアリーを作ろうぜ、と、豪語していた元同僚は、先日、久しぶりに会ったら、すっかり老眼鏡が手離せなくなっていた。老人施設の嘱託医になって、退屈そうな日々を送っていた。
陽射しが眩しい。もう、昼の時間だ。酔いが回って来た。
このまま眠ってしまおう。意識が夏の風を感じながら遠ざかった。バイソングラスの香りとともに。