空中楼閣*R25

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殻を脱ぐとき

 梅雨だというのに、まるでカンナの真紅が似合いそうなくらいに真夏の空だ。

 死ぬのが怖くて、眠るのが怖かったのは中学生の頃だった。怖かったのは、死ぬ事もだけれど、書棚の奥に隠した緊縛写真や官能小説を見つけられるほうが怖かったかもしれない。

 今は、逝くように眠れる。そして、朝、目覚めると、じわりと今日を迎えられたことへの感謝が浮かぶ。

 だからといって、今日一日を大切にしよう、などという殊勝な考えまでは浮かばない。

 ただ、昨日と同じように、顔を洗い、昨日と同じように通勤ドライブへと出かける。

 年に数回だけれども、生まれかわったのではないか、という朝がある。いや、生まれ変わったというよりも、昨日までの何かが終わったという感覚のほうが正直かもしれない。

 その感覚の理由はといえば、よくよく考えてみないと判らないほどの、日常に起きた、予期せぬ物事のささやかな終了が幾つか重なったという事なのだと、今朝はようやく気が付いた。

 終了したという事よりも、予期せぬという事のほうが私にはインパクトがあるみたいだ。

 予測はしていたが、終了時期が予定外に早くなった事があった。同時に、予測もしてなかった終了があった。その他にも、いろいろと小さな予期せぬ終わりがあった。

 自分から色々と着込んでしまうので、予期せぬ終了でもない限り、背負ったものから解き放たれない。

 だから、ふと、生まれ変わったような朝を感じるのだろう。