空中楼閣*R25

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曇った冬空に

 もうすぐ昼の時間だというのに、夜の雨を降らした雲が空に居座っている。届かない陽射しに大地から冷えて来た。

 先週の今日、火曜日の未明に彼は逝ったのだ。見守る人達は、誰一人として彼の名を知ることもないままだった。

 訃報は昨日、私に届いた。二、三名の友人と連絡を取り、彼の身元が判明したのが、旅立ってから四日後だと知った。

 すでに彼の事故を知らせるニュースも無く。ネットの海からキャッシュの破片を拾い集めた。「25日午前三時過ぎ」、「信号のある交差点」、「横断歩道」、「30歳ぐらいの男性」、「二時間後に死亡」、「走り去った白い乗用車」、「通りがかった女性の通報」などなど。

 20歳も若く見えたのは彼だからだろう。いつも同級生を笑わせてくれた。時々、教壇を高座に見立てて、汗を流しながら古典落語を熱演した。クラスの誰もが、涙が出る程に笑っていた。

 大学での彼の学部は忘れたが、ちゃんと落研に入っていたのは知っている。

 友人に「残念だ。さぞ無念だろうなあ」と書いて送った。送った後で、違和感を感じた。彼は果たして「無念」だったろうかと。

 不意に人生を閉ざされてしまった人達を沢山、看取って来た。無念すら感じる間もなく、命を終えた人達も多かった。

 その人達の人生について私は知る術もなく、漠然と「無念」だろうなあと、残された人々やその人の年齢や職業を見ながら思った。

 何故、違和感を感じたのか。私に友人に「無念」と書きながら、嘘をついている心持ちだった。

 そうなんだ。彼は無念を残すような生き方はしていなかったと信じているからだ。それが不意に他人からもたらされた死であったとしても。

 彼はきっと悔いなど残すような生き方はしてないはずだ。そうあって欲しいし、そうだと信じてる。

 だから私は・・「無念」とは本当には思わなかったのだ。思いたくなかったのだ。たとえ22年前の彼の笑顔しか思い出せなくても。