それは賢さか、愚かさか
爽やかな風と温かな陽射しの中で、子犬が死んだように腹を見せて眠っている。
彼は、悩んだりはしない。明日の自分がどうなるのだろうとか、自由が欲しいだとか、考えることもない。
それが生き物の正しい在り方なのかもしれない。唯、ここに生きる。
某書籍のキャッチコピーに、「恋愛は不安との戦い、結婚は不満との戦い」とあった。ならば、安心と満足はどこにあるのだろう。戦いの先にあるのだろうか。
神は愚かさを祝福する、と学術雑誌のエッセイにあった。
確かに、アダムとイブが追われたのは「分別の実」を食べたせいだ。分別とは知識であり、自我なのだろう。
自己を意識して、他者を思う。他者を知り、自己を悩む。智恵とは悩みを救う術だとすれば、知識のない愚かさに智恵は無用だ。悩むことも知らず生きられるのだから。
不安も不満もない、愚かさ。
けれど、安心も満足も知らずに、唯、ここに生きることになるのだろうが。波もなく鏡のような池が良いのか、波に翻弄される果てしない海が良いのか。