花を愛で、花に戯れ、花に溺れる
花写り
いつしか枯れたカンナの赤を
写し取るのは・・曼珠沙華その鮮やかな紅色を
白に移して、淡く薄め気が付けば秋桜の花・・秋空に揺れ。
青みがかった紫の花が庭に絶えないようにと、春先から秋まで一草ずつ、こっそりと植えていることを家人は知らない。
春先のスミレから、都忘れ、オダマキ、クレマチス、紫陽花、朝顔、そして、紫露草、トルコ桔梗、竜胆、シオンに紫式部の小さな実。
でも、本当はカンナや曼珠沙華の狂おしい程の紅色にも、見とれてしまうのだけれど、あまりにも激しい色で、その鮮やかさは淫らにも思えてしまう。
隠していたエロスを解き放ち、受け止めて欲しいと投げ出したような紅い色に、たじろいでしまう気がするのだ。
受け止めるには、例え片時であっても平穏な日常を、私も捨てなくてはいけない気分になる。そして、時に受け止めたまま戻れなくなってしまう恐怖すら感じる。
いや、それは不快な恐怖ではない。むしろ、甘く痺れるような感覚。鳥肌が立ち、腰に熱を帯びるような誘惑なのだ。
だから、庭先という身近な風景に咲かせるわけにはいかない。
まあ、曼珠沙華を庭先に植える人も居ないだろうが。もしかしたら、そんな風に誘われてしまうかも、という心持ちから植えないのかもしれない。カンナも同様だろう。
いずれの花にしても、あの紅は・・この世ではない。
切り花
私は切り花を好きではなかった。花は実るために咲く。それを愛でるためとはいえ、切断してしまうのは、その花の命どころか生存意義さえも奪ってしまうのだから。
もっとも、だからこそ切り花は美しいのだとも思う。花瓶に活けた花は、かくも残酷。故に美しい。
後戻りできないという残酷さは、その対象が美しく、無防備であるほど、エロチックなのではないかと思う。
インモラル、アブノーマルというのは、性において、一層、そういう面を掻き立てる。つまり、耽りながら、堕ちていくという、そういう世界をより妖しく、甘く、毒々しくする。