蜜の距離
ここしばらく連絡を取っていない。男女に限らず、人の距離とは不思議なもので、同じ距離を続けると感度が鈍くなってしまう。
離れ過ぎれば、そのまま疎遠になり、近づき過ぎれば、その事に慣れてしまう。そのほうが都合の良い関係なら、それもいい。けれど、それでは嫌だというのであれば、敢えて距離を変えても関係を保とうとするエネルギーが必要になる。
ずっとキスをしていると確かに心地よいけれど、いつかはそれが、刺激を失ってしまうかもしれない。
刺激を保ちたいと思うか、どうか、それが全てかもしれない。特に男女の距離は。
「最近、変なの」
と貴女は言う。
「どうした?」
「欲しくて仕方ないの」
「良い事だね」
「でも毎日、二回も自分でしてしまうの」
「少しは自分を焦らすとか」
「出来ないわ。そんな事」
同じ刺激は刺激として感じなくなる。それが人の感覚の不便さであり、便利さであり、不自由さであり、自由さである。
欲しいと思うなら、努力が必要なのだ。それがどんな関係であっても。でも、それを人はつい忘れてしまう。忘れると、思い出すことすら面倒になる。
だから、「欲しい」ものなら「忘れない」こと。忘れてもいいものなら、それは「欲しくなっかったんだ」ということ。
貴女は「欲しい」ですか?