日記
数年前の一月には、こんな事を書いていた。
1月31日 風の中
ゆうに15メートルはある大きな樹が
幾本も天に伸びて
古の武蔵野はこんなにも
背の高い雑木林だったのかと畏敬を込めて梢を見上げた
遥か天上には一羽の鴉
君がこの公園の主なのか変わり行く森を見続けた末裔なのか
その翌年の五月には、こうも書いている。
5月11日 夜気に包まれる
霧雨が上がったばかりの
夜の街を、一人歩きながら深く息を吸い込めば
冷たい湿度に満たされる忘れていたものが、生き返る気がする
やはり次に生まれ変われるのなら
大きな樹になりたい
思えば、前述の本を手にとったのも、その表紙に一本の樹が描かれていたからだ。無論、その題名と内容も気になったのだけれど、表紙が私と本を出会わせた。
いつから、憧れるようになったのだろう。
先日、白州正子さんの「木」についての著作を読んだ。ますます、大きな樹に憧れた。紹介されているような樹には、おいそれとは成れそうもないなと畏敬の念さえ抱くようになった。
次に生まれ変わるなら、見晴らしいい稜線に植わった大きな樹になりたい。それも、人々の心を震わせるような泰然とした樹になりたい。