空中楼閣*R25

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夭夭たる桃

 あれは、初めての漢文の授業だったと思う。

 真新しい教科書のあるページから目が離せなかった。桃夭(とうよう)という詩経の有名な詩だった。

 無論、正しい解釈ができたわけでもない。ただ、その漢字から受けるイメージだけで、私は甘い感覚に陥っていた。そして、教科書の訳詩を意に介せず、勝手な妄想で漢詩を読んでいた。

 夭夭たる、若々しい桃である。その桃は美しい花を秘めている。そんな娘が嫁ぐのだ、その家には喜ばしことだろう。

 夭夭たる、張りのある桃は、ふっくらと豊満な実を持っている。この娘が嫁ぐ家は幸運であろう。

 夭夭たる桃には、沢山の葉が茂っている。嫁ぎ先の夫はきっと喜ぶであろう。

 色々な解釈が実在するが、私の脳裏で「桃」は嫁ぐ娘の身体部分を意味していた。それも、胸でも、腰でもなく、花びらを秘めて葉を茂らせてる、ふくよかで柔らかな起伏である。

 高校生の私が何故、女性のその部分を想い描いたか。それは多分、その数年前に偶然、心に焼き付いた映像のせいだろう。

 私が異性に興味を持ち始めてから最初に美しいと思った女性は、母の弟の婚約者だった。

母と叔父は歳が離れていて、彼女は私より12歳ほど年上の甘い声と柔らかな線の持ち主だった。結婚前から度々、私の家に来ては泊まっていた。

 何故か彼女は当時10歳の私と並んで布団を敷いて寝る事が多かった。私が寝付けずにいると、彼女は私を自分の布団に招き入れてくれた。

 彼女の肌の匂いは心地よかった。

 彼女は私は両足を自分の太腿で挟んでくれた。大人の女性の弾力を感じながら、顔を胸元に埋め、彼女の腰に腕を回して、私は気持ちよく眠りに落ちるのだった。

 母の郷里に親族が集まる時も、私の家に彼女が泊まる時も、彼女は私を抱き寄せて眠りについた。

 私は私で、彼女の「一緒に寝ようよ」とか、「こっちおいで」とかいう言葉を聞くまで、目を閉じたまま何度も寝返りしてみせたものだった。

 同じ布団で眠っている間、私は彼女の肌に触れ続けた。触れる範囲は、次第に広く深くなっていった。

 二年ほどして、彼女は叔父と結婚した。その直前にも、彼女は私の家に泊まりに来た。だか、彼女は私と同じ部屋では眠らなかった。私は叔父に嫉妬した。

 ある夏の日、私は叔父の家で数日を過ごすことになった。部屋に布団が敷かれ、電気が消された後、叔母が風呂を使う気配がした。

 その部屋は浴室に面していた。脱衣所というほどのものはなく、叔父は私の隣りでイビキをかいて眠っていた。

 目蓋の向こうが急に明るくなって、薄く目を開けた。闇の中、浴室からの光に照らされた洗い髪の叔母の裸体があった。

 夏の部屋で、女の曲線が白く浮かび上がり、腰の中心にある大人の陰りが目に焼き付いた。何度も触れた事のある心地よい白桃に生えていたものを、初めて見た瞬間だった。

 夭夭たる桃に、其の葉、蓁蓁(しんしん)たり。