空中楼閣*R25

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51回目の夏至

 こうしたい、ああしたい、と思いながら、結局、あまり動かないままに五十一回目の夏至を迎えた。

 人生初めての夏至が、生後六ヶ月だと思うと妙な気分にもなるし、51年と6ヶ月を何とか生きてきたなあ、と感慨も湧く。

 冬至は太陽が生まれ変わる日で、ある意味では一年の区切り。昔は、誰もが冬至から正月で年齢を数えたのは、そのせいである。

 冬至夏至で自分の人生を区切るのも、なんだか宇宙の動きとともに生きているようで粋な感じがする。

 冬至はカボチャと柚子湯、夏至は・・と、調べてみた。蛸を茹でて食べるとか、鯖だとか、饂飩だとか、あるいは無花果を田楽にして食するとか。

 正確には夏至から半夏生の間に食べるらしい。

 この半夏生(はんげしょう)という語感は、なんだか私には官能的に思えて仕方ない。

 同じ名の植物の姿もまた艶っぽいし、天から毒気が降るから井戸に蓋をするとか、野菜は控えなさいとか、はんげという妖怪まで彷徨うようだから、なんとも妖しい季節だ。

 まるで蒸し暑い午後の、名も交わさぬ情事のあとに、汗に滲んだ化粧を直す女性のようだ・・半夏生

 51回目になって、そんな事まで思うようになったのは、良いことか悪いことか。

 それはともかくとして、妄想から創作へと何か心に響く語彙があれば、そちらへと動くのは、きっと最初の夏至のときから身についていたのだろう。

 今日だって、すぐに浮かんでしまう。例えば、こんな具合に。