空中楼閣*R25

*リンク先が不適切な場合があります。ご容赦を*

こんな夜に

 ・・お前に乗れないなんて、

 如何にもという感じのNHKのアナウンサーが、多分、清志郎が真っ先に報道される事を「馬鹿野郎」と思っていただろう、いつものニュースの時間、それも最後に滑り込むように、教科書通りの抑揚で原稿を読んだ。

 でも、原稿が走り書きだったのか、途中で読めなくなって、じっと左を非難する眼差しで見つめるアナウンサー。ああ、きっと清志郎は「ざまあ、見ろ」と言っている。

 忌野清志郎が死んだ。

 その事にとてつもなく落胆する自分に、今度は自分が驚いた。何かが終わってしまった気分になった。

 何故だろう。ジョン・レノンが死んだときも、マンハッタンで高層ビルが崩れ去った時も、実際のところ心には響かなかった。

 最初に聞いたのは、多分、中学に入る頃、まだ小学生だった。

 ビートルズよりも、カーペンターズだったり、サイモン&ガーファンクルだったり、アバが好きだった私は、買ってもらったばかりのFMラジオから、メロディー自体が外れているようで外れない、叫んでいるようで叫ばない、泣いているようで泣いていない、彼の歌に引き込まれていた。

 ラジカセに録音したのは、「僕の好きな先生」だったと思う。その曲を入れた代わりにカセットのテープが足りなくなって、S&Gの「冬の散歩道」が途中で終わっていた。

 取り立てて彼が好きだったわけでも、のめり込んだわけでもない。

 当時の自分は、彼と彼の歌よりも、二年ほど前にS&Gの解散してしまっていた事を知った事のほうがショックだった。

 彼が教授とキスをしながら、口紅のコマーシャルを歌っていたときにも、アバの解散のほうが心に残っていたし、カレン・カーペンターが摂食障害で命を落とした事のほうが一大事だった。

 それなのに、彼の死を聞かされて、心が落ちた。

 私の中で彼は死なない存在だった。というよりも、生死とは無縁の、およそ生き物とは思えない存在だったのだろう。

 そんな彼にも死という陳腐な現象が、易々と躊躇いもなく訪れたことに動揺した。

 彼は理解とか、解釈とか、社会という理屈とは違う世界に居た。理屈でしか物事を弁えずに、理屈の齟齬のなさが正義だと思っていた私は、彼に近づく事もできないでいた。

 だが、この十年ぐらいで、人生も終点が見えて来るようになって、彼の存在の驚きに気がついた。

 彼は解釈ではなく、彼は感じるものなんだと。感じることで存在する。そんな彼が死んだということが、何か大事なものの終わりに感じだんだ。

 冥福など祈らない。彼は、生死とは無関係に感じる存在で有り続けるべきだから。

 ああ、そうか、父もそうだったかもしれない。解釈でなく、感じて始めて存在する。

 こんな夜に・・発射できないなんて。