妄想家
夏の終わりの雨にカンナの花びらが微かに揺れるのを、目の隅で追いながら、道路の真ん中近くで引き裂かれた猫の骸を避けた。
「あなたって、自分以外の誰を失っても哀しまないのでしょ」
と貴女は言う。
確かにそうかもしれない。だけど、すこしだけ間違っている。
この手の下で幾百人が旅立った。その度に何の感傷を抱かぬまま、いや、抱かないようにと思いながら、まるで旅券にサインをするかのごとくに薄っぺらな定型用紙に時刻と自分の名前を記入した。
それと恋愛とは違うと貴女は言うかも知れないが、心が軋むということにおいて、喪失であることに変わりはない。
「あなたの文章で心を乱す人がいるって判っているのに」
投げ入れた石のように波紋が拡がるとして、その同心円を陰影を美しいと思うことが悪いことだとは思わない。
「都合良いわよね。妄想と現実の曖昧さ」
その曖昧を漂うのは私が居心地が良いからで、他の誰のためでもないのだから。
波紋の陰影の美しさが私には心地よいから、ただそれだけの事。
乱される「水の器」には迷惑なことだろうけれど、ならば石を投げ込まれないように蓋を閉めてしまえばいい、というのは身勝手だろうか。
「あなたは気に入った綺麗な貝殻だけ拾えばいいのよ」
と、あの人には言われたけれど、実はそんな事ができない自分が居る。
だからほら、すぐに「貴女」へと逃げ込んでしまう。
「貴女」への道程で車窓から見上げた稜線に泰然と立つ巨木。
やっぱり私は、生まれ変われるなら、あんな大きな樹になりたい。ただ静かに、でもしっかりと立つあの大きな樹になりたい。
「でもね、飽きたら、ちゃんと海にかえすこと」
それが出来ないのだから、いくら綺麗な貝殻でも気ままには拾えない。
失うことの哀しさを、一番、怖がっているのは私だから。まだ「貴女」を海にも帰せないで、水槽に眠らせている。
「自分以外の誰を失っても哀しまないのでしょ。だって・・」
・・水槽で眠っているのは「あなた自身」だから。
フェンダーミラーで、道路に横たわる小さな破片を確かめた。
雨に濡れた深紅の花が、崩れ落ちそうに熟れていた。