空中楼閣*R25

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送り火に夏が逝く

 不惑という歳になると、誰もが惑い始める。歩いて来た道を振り返り、足元を眺め、先へと続く道を思う。すると先が見えてしまう心持ちに陥る。

 そこで、見えてしまった未来を、少しだけでも変えられないかと藻掻き始める。が、しかし、大方は火傷する。そして言われるのだ。「いい歳をした大人が」と。

 久世光彦という名前を知ったのは、有名なテレビドラマからではなく書店だった。文庫本の帯の文章で「陛下」と「乱歩」を手にとった。書き出しの数行で、彼の世界に魅せられた。

 その彼の「飲食男女」なる本を読んだ時、彼が自身の人生を閉じようとしているのだと思った。その予感はすぐに現実となった。

 不惑の悪あがきは決して無駄ではなく、狂おしい衝動が過ぎれば、静かに来し方を振り返ることが出来る。ただ、それはそのまま行く末への支度とも言える。誰もが、辿り着くゴールのための後始末だろう。

 彼の作品に「桃」というのがあるか、それよりも「飲食男女」の中の一編にある「桃狂い」のほうが私は好きだ。

 「陛下」の主人公の青年将校が、心を病んだ姉と交わりながら壊れて行く様もエロチックだが、義眼の裏側に「あのお方」の御影を貼付けて、日々、その痛みを味わう北某氏の同性としての熱情のほうが、妖しくてたまらない。それは「乱歩」に登場する中国人青年給仕への主人公の恋慕にも似ている。

 熟れすぎて、なかば腐りかけた桃の匂いの、少し嗅覚を突き刺す感じの甘い腐敗臭だ。若さへの憧れも含めた聖なる者への、老いて熟しすぎた者の抱く劣情なのだ。

 隣家の人妻が窓際に置いた桃が、熟れて腐っていく様を覗き見る若者は、やがて彼女の熟した肌の虜になっていく。

 私のパソコンのデータを「水蜜桃」で検索するだけで、幾編もの文章が現れる。私もまた「桃狂い」なのである。